フィクション・レポート: オランダ、フリースラントで気球に乗る
写真: フリースラント気球祭り 2012
参考文献
写真: フリースラント気球祭り 2012
参考文献
構成について
Hot-Air Balloon in Heerenveen, the Netherlands in June, 2012 |
日本ではなかなか体験できない気球飛行。気球を飛ばしている団体の数も少ない上、わざわざ足をそこまで運んでも天候などの影響により必ず乗ることができるとは限らない。日本は地形が複雑な上、市街地化が進んでいるため気球を飛ばすにはなかなか難しい環境。オランダと異なり、電線や電柱が地上のいたるところにある、というもの条件を更に難しくしている。
「今日は空気も澄んで風もないから気球にでも乗りに行こうかな」という具合にはいかないのである。しかしオランダではどうだろうか。フリースラント州では、気球が空に浮かんでいるのを見かけることは、至極普通のこととなっている。春から秋にかけて、穏やかな土曜日ともなると複数の気球が各団体や気球ツアーを扱っている会社から飛ばされているようだ。
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1 プレゼント
わたしの彼が誕生日のプレゼントに気球飛行のチケットを友人たちから受け取った。
「そうなんだ、気球ね。なるほど面白そう」わたしの言葉には、それほどの好奇心が含まれていなかった。彼の飛行当日も、わたしは自宅で待つことにし、友人たちと居間のソファでビスケットやピスタチオをつまみ、果物の実をたっぷり入れて作ったハーブ・ティーを飲みながらのんびりと過ごした。彼は夜の7時ごろ自宅を出て行ったのだが、家に戻ってきたのは、わたしの予想を大幅に過ぎた夜中の1時過ぎ。まだ寝つけていなかったわたしは、ベッドから立ち上がり寝室のある二階から一階へ下りていった。
彼の髪の毛には草が絡まっており頭はぼさぼさになっている、そしてまるで数日間シャワーを浴びていない人のように髪の毛は油で固まってべとべとしているように見えた。確かに彼は、出掛ける前にシャワーを浴びてしっかりと身支度をしていた。しかも今彼からは、何かの匂いが漂っていた。わたしには何が彼に起こったのか全く見当がつかなかった。
「シャワーを浴びないと。シャンパンを頭に掛けられたんだよ。草もいっぱい掛けられた。」と彼は少々興奮気味に話した。わたしにはまだ何のことなのかわからない。
「気球に乗った記念の儀式が着陸後にあって、この頭に掛かったシャンパンや草もその為のものなんだ。それがまた結構な量なんだよ。洋服まで濡れちゃった人もいたと思うよ。」と彼は話した。
「そんなこともするんだ。何その儀式って?それで、飛行自体はどうだったの。どんな感じだったの。凄いの。」とわたしは世間話をする感覚で話した。
「うん、凄かったし楽しかったよ。ヤンの家の近くで気球を準備して飛び立ったんだけど、随分長い間飛んでいた気がする。すごく高く飛んでいたこともあったし、すごく低い時もあった。」
「どのくらい高く飛んだの。」
「高いときは高度が500メートルくらいあったよ。遠くまで見渡せたし、土地の起伏が実際にどうなっているかが空からだとよくわかった。自分が住んでいる地域があんなふうになっているなんて知らなかったよ。それで着陸前になると高度がぐんぐん下がって、その時僕らは森の上を飛んでいたんだけど、バスケットが木の天辺を掠ったりしたんだよ。」彼は抑揚を上げて続けた。
「そんなに低く飛んだの。」わたしは森の木々に触れてしまうほど低く飛んだというその話に少しぞくぞくした。
「それで、牧草地のど真ん中に着陸したんだけど、知らないおじさんが顔を真っ赤に染めて凄く怖い表情で僕らのところに駆け寄ってきたんだ。おじさんは、『あんなに低く飛んで、しかもこんな所に着陸したら馬がびっくりして暴れだすじゃないか』って叫んだんだ。あれは気の毒だとは思ったけどちょっぴりおかしかったな。すさまじい勢いで怒鳴っていたんだよ。」と彼は話した。おじさんがかんかんに怒っている様子が彼の目には滑稽に映ったのだ。
「そこには馬がたくさん放されていたの?それで、怖がって暴れちゃったの?」おじさんと馬のはなしはおかしく、わたしは気球飛行そのものよりもこのはなしに興味を持ちはじめた。頭の中では、すでに馬が大暴れして柵を越え爆走し逃げていってしまう様子を想像してしまっていたのだ。
「いや、馬たちは実際には納屋の中にいたみたい。僕は馬を一頭も見なかったしね。おじさんの言い分は、もし馬が外に出ていたら大変なことになっただろう、ということだと思う。」と、こんな調子で話しを続けたものの、わたしたちは間もなく会話を切り上げわたしはベッドへ戻り、そして彼はシャワーを浴びに浴室へと入っていった。
それからほんの数日後、わたしはなんと気球飛行に招待された。
2 詩織
詩織(しおり)〔仮名〕がオランダへ住み始めて既に数年が経っていた。このフリースラントのとある町には、詩織が知っている限りかのじょ以外の日本人は住んでいない。この数年間、詩織はオランダ語を独学しながら数ヶ月前まで仕事もこなしてきた。この地域では、オランダ語以上にフリースラント語が話されているので、オランダ語を勉強しても詩織がオランダ語の会話に囲まれる機会はフリースラント語のそれよりも多いということはなかった。詩織は、勉強してもそれを日頃なかなか生かすことできず、歯がゆさを感じていた。それでも、オランダ人と結婚しここでずっと暮らしていくという決心がかのじょをオランダ語の習得に駆り立て、そしてここでのキャリアために詩織は仕事にも意欲をもって取り組んでいた。そんなある日、詩織は自分の妊娠に気がついた。
子供が生まれてから数ヶ月が経とうとしていた。日本の家族は日本での出産をかのじょに薦めていたのだが、詩織はこの小さな町の病院で出産を無事に終えた。自分の家族から遠く離れた外国で出産をするかどうか、当初詩織は迷っていた。しかし夫や近くに住む夫の家族が見守ってくれていたし病院の体制もしっかりしていたので、詩織は妊娠を知ってから半年も過ぎないうちにオランダでの出産に勇気がもてるようになっていった。それに何と言っても嬉しいことに、日本から母親がわざわざ出産に付き添い育児を助けるためにオランダまでやってきてくれたのだ。
わたしと詩織が出会ったのはつい最近。それは本当に偶然の出会いだった。それ以来、わたしと詩織は週に一度ほどの割合で会うようになった。わたしの家で他の人も交えて集まることもあれば、詩織が赤ん坊を連れて散歩に出掛けるとき、わたしがそれに同行することもあった。
ある日、わたしの彼が気球に乗ったことが切っ掛けとなって、気球ツアーの話がかのじょと母親の間で持ち上がった。詩織は気球に乗った経験があり、その経験話も加えられ母親との会話は盛り上がった。
「折角オランダまで来たんだし、気球に乗る機会なんて普段日本で暮らしていたらなかなかないやんか。ちょっと、わたし乗ってみたくなってきたよ詩織ちゃん。一緒に乗らへん?」と母親は娘に訊ねた。母親の気球飛行に対する好奇心が高まりつつあった。
「ほらあなたが最近知り合った人、この間あの人の彼が気球に乗ったときあの人一緒に行かないでいたでしょう。お金を貯めたいからあの時は行かないことにしたって言っとったね。わたしが払ってあげるから、あの人も誘って一緒に乗ろうよ。」と母親は続けた。母親には、オランダ人と結婚し遠く離れて暮らす娘に、近くに住む日本人の友達が一人でも多くできればいざという時に助け合えるかもしれないという期待があった。
そして話は展開してゆき、わたしは招待して頂いたわけである。詩織やかのじょの母親とは知り会ってからまだ日も浅い。160ユーロ(2012年6月時点で約1万6千円)もする数時間の飛行ツアーをプレゼントされるなんて想像できるはずもなく、わたしは二人に感謝し人生で初めて気球に乗ることとなった。
素朴で大きな籠 |
気球飛行はわたしが予想していた以上に面白ものであった。その日の天候は晴れ時々曇り。風は殆どなかった。離陸地点には大勢の人。彼らの多くはツアー参加者の友人や家族であるようだ。その日は土曜日ということもありツアー参加者の数は少々多目。一見したところ20人弱。気球は二機用意されていた。一つは小さめのもので、もう一つは大きめのもの。わたしと詩織とかのじょの母親の三人は、パイロットから大きいバスケットに乗るように言われていた。ここでは、気球がバンから降ろされて離陸するまでの準備の全行程を、ツアー参加者全員が手伝うことがツアーの恒例となっていた。四十五分ほどの準備の間、球皮は熱せられ見る見るうちに膨らんでいった。
バーナーは地響きするほどの低い音をあげて球皮内へ熱を送る。気球に吊るされるゴンドラは、藤を編み込んで作られたフルーツバスケットをそのまま巨大化しただけのものに見えた。そのオーガニックで素朴な、何の科学技術も感じられない正真正銘のバスケットにわたしは少し面食らってしまった。この21世紀にあり、空を飛ぶ乗り物のイメージは、わたしの中で『最新の素材によって製造された頑丈なもの』であったのだ。そのイメージとは全く異なり、そのゴンドラは数世紀前に飛んでいた気球から吊るされていたものと何らちがいはなかったのだ。横になった籠の中から眺めと頭上で燃え立つ炎 |
古風なゴンドラが気球全体の雰囲気を高めており、わたしはしだいにつのる興奮とともに、準備を見守った。球皮内の空気の温度はどんどん上がり、球皮は膨らんでいく。
「では、ゴンドラの中に入って下さい。」とわたしたちのパイロットが参加者たちに告げ、わたしたち三人は、いそいそとゴンドラに向かって動きだした。同じゴンドラに乗ることになっている他の参加者たちもそわそわし始め、一人ずつ横倒しになっているバスケットの中にもぐり込んでいった。わたしたちのゴンドラは大きく、その中は仕切りによって五つのコンパートメントに分けられていた。比較的小さいコンパートメントがゴンドラの両端に二つづつあり、バーナー・ユニットが備え付けられている大きめのコンパートメントが中央にあった。仕切りは構造上の補強と乗客を分散させるためのものだ。バスケットが横に倒れた状態のままなので、わたしたちは、数人に分かれてそれぞれのコンパートメントにもぐり込み肩から上のみをゴンドラから突き出した状態で寝転がっていた。そしてパイロットも、バーナーのある中央のコンパートメントにすばやく乗り込み、全11人が乗り込んだわたしたちの気球は今飛び立とうとしていた。
燃え立つバーナーの炎はわたしの頭の真上、もう炎の轟音しか聞こえない。突然、バスケットが起こされた。とその瞬間後、わたしたちの気球は既に三十メートルほど上昇していた。
「え、もう浮かんでるよ!」とわたしはおもわず叫んでしまった。わたしには、気球が上昇し始めたことをまったく感じることができなかったのだ。気がついたとき、地面はものすごい速さで下方へ落下していた。四十メートル、八十メートル、いやもう百メートルには達している。百五十、二百、そして高度三百メートル、滑るように気球は静かに一挙に上昇していった。バーナーの音以外、五感では何も感じなかったほんの一瞬の間に、わたしたちはもう高度四百メートルの空に浮かんでいたのだ。
わたしは数十回ほどヘリコプターに乗ったことがある。その殆どは仕事の関係で乗ったものだ。空を飛ぶ手段として、これまでわたしは、ヘリコプターが一番だと思ってきた。大地を身近に感じことができ、詳細を観察することができるというのが、その最もな理由である。小回りが利くし、機内は快適だ。このような体験とわたしのヘリコプターに対する絶対的な評価から、わたしは気球に対してそれほど期待はしていなかった。だが、気球飛行は他のものとは全く異質なものだった。大気に直接に触れているせいなのか、気球の旅の臨場感はヘリコプター以上であった。また、その行き先の決定権の大部分をパイロットの技術にも依るが、風が握っているというのも他の乗り物では味わえない状況だ。
農地の間を縦横する運河の水面に気球がはっきりと映し出されていた。羊や牛が草を食む広がるフリースラントの平らな大地。大きな農家の家。眼下で遊ぶ子供たちが手を振り、犬が『あれは何だ?』と言わんばかりに空に向かって吠えた。そんな気球飛行は、ふわぁっとした心地よい旅であった。
フリースラント気球祭り 2012
参考文献: オランダ語/英語
会場の様子 |
オランダ、フリースラント州にあるヤウラ村で毎年開催される『フリースラント気球祭り』。オランダ国内で最大規模の気球祭りの一つで、昨年の観客数は約2万人。今年、2012年度は7月25日から29日にかけて行われ、開催期間中は毎日35機の気球があげられた。世界中から集まった気球の中には、家や空飛ぶ円盤、そして木の形をした普通では見ることのできない気球もあり、それらも次々と上げれていった。
道化師 Sven Grenzner (ドイツ) |
コーヒー・カップ Neil Ivsion (イギリス) |
ダイアモンドが輝く街アムステルダム
Hans Zoet (オランダ)
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参考文献: オランダ語/英語
- Dreamflights, Appelhof 17, 8465 RX Oudehaske, Tel: 0513 677 999
- Friese Ballonfeesten, Joure, Nederland www.ballonfeesten.nl
- IkeAir, http://www.ikeair.nl/
- 日本気球連盟、Japan Balloon Federation
- 北海道バルーンフェスティバル、北海道上士幌町
- 上士幌町公式サイト: http://www.kamishihoro.jp/
- 公式ブログ: http://blog.kamishihoron.com/balfes/theme/1497.html
- 富良野ネイチャークラブ: http://www.alpn.co.jp/
- 十勝ネイチャーセンター: http://www.nature-tokachi.co.jp/
- 熱気球ホンダグランプリ/とちぎ熱気球インターナショナルチャンピオンシップ
構成について
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